- 院長あいさつ・想い

院長あいさつ

鍼灸整体院 したらパーソナルケア 院長
北澤 望夢(キタザワ ノゾム)
1978年 福岡県北九州市生まれ うお座

甲南大学 経営学部 卒業
行岡鍼灸専門学校 鍼灸科 卒業

あん摩・マッサージ・指圧師、はり師、きゅう師 (三療師)
(以上、厚生労働大臣免許(国家資格)
日本メンタルヘルス協会 心理カウンセラー

・鍼灸 : 割石 務 先生に師事(京都 ビーウェル小野治療院・北山治療院)
・整体(多次元操体法) : 上川名 修 先生に師事(仙台 やすらぎの杜整体院)

数ある治療院のホームページから当院のページをご覧いただき、心より感謝を申し上げます。

【血流改善専門】の鍼灸整体院したらパーソナルケア、院長の北澤と申します。

当院では、長年原因がわからず、ずっと不安を抱えていた痛み・不調を、血流を整えることで根本的な解決に向かうようサポートしています。

ホームページのコンテンツ・文章はすべて院長が自ら手がけています。デザインに優れたサイトと比べると見おとりする部分があるかもしれません。

なかなか伝わりにくい内容もあるかもしれませんが、臨床経験に基づく、当院なりの真実をお伝えできれば幸いです。

より詳しいプロフィール

院長の性格

身長182センチと体は大きいですが、性格はガツガツしていません。むしろ人前で話すのはあまり得意ではありません。思春期には好きな子に告白もできないような引っ込み思案な性格でした。

ホームページには文章をたくさん書いていますが、しゃべりが上手いわけではありません。上手くしゃべろうとすると余計に硬くなります。ただでさえ伝えにくい、東洋医学や自然の法則を、文字に起こして伝えるのもいまだに苦労します。

でも、臨床をつうじて多くの方とお会いすることで、私自身すごく自信がつきましたし、上手くしゃべろうとしなくても想いは伝わる、ということを学びました。

今では「このままでいいんだ」と自分の性格を愛せるようになりましたし、その場に降ってきたことを上手くしゃべろうと意気込まず、自然な話し方でお伝えすることが出来るようになりました。

今でもしゃべり自体は上手くなっていませんし、緊張しやすい方ですから、初めて治療院にお越しになる皆さんの気持ちもすごくわかります。決して、上手くしゃべろう、弱みをみせないでおこうとは思わず、飾らない、ありのままの姿でお話を聞かせてください。

立場上こちらは先生ですが、大切なことは互いが寄りそい合える関係だと思っています。安心してすべてを委ねてみてください。きっとラクになると思います。

院長の経歴

1978年、福岡県・北九州市・小倉で生まれました。その後は自宅のあった大阪府・堺市で育ちました。幼いころから食べるのが大好き。父親と同じご飯の量じゃないとゴネていたそうです。母親は大変だったと思います。

3歳のころ父親の転勤で、千葉県・浦安市に引越し。東京ディズニー・ランドの完成直前(!)に転勤が決まり大阪へ。その後、幼稚園~現在にいたるまで、大阪を中心に関西で生活をしています。

母親の影響

父親が転勤、そして長期駐在(中国など)が多く、小学校~大学生あたりまで、父親と過ごす日は、夏休みとお正月の年に数日という生活でした。おかげさまで中国にはよく行きましたが、幼少期~思春期に父親と日本で過ごした想い出はあまりありません。

母親の性格は「温厚」の一言。あまりガツガツしていない自分の性格は母親の影響が大きいと感じています。その影響か、当院のクライアントさまも女性の方が多いです。逆に男性のクライアントさまでガツガツこられるとちょっと緊張してしまいます。

見た目のからだの大きさに反して、性格はおとなしいです。争いごとも苦手です。悪く言えば男気がないのかもしれませんが、自然体で施術にあたるとクライアントさまから褒めていただくことがあります。

威圧感がないから安心できる

・声のトーンがいい

・先生の声にホッとする

など

声がいいとか、自分ではまったく思ってもいないことでしたが、言われて嬉しかったです。おかげさまで自信をもって、ありのままの自分で臨床にあたることができています。

小学生のころ

絵画が好きで水彩画~油絵を習っていました。絵画が校内新聞に掲載されたり、美術館に展示されることもありました。同時にソフトボール、サッカー、卓球など運動もしており、放課後は遊んでばかり、宿題をやっていた記憶がありません。

とにかく遊び回っていましたが、どこか一人で取り組むようことが好きなような内向的な性格も備えて持っていました。ちなみに、ファミコン~ミニ四駆~ビックリマン世代ですので、そのあたりもよくわかります(笑)

中学生のころ

小学校卒業時で身長が168センチだったため、本当はバスケットボールがしたかったのですが(世間はスラムダンク人気でバスケブーム到来)、なぜか小学校の延長で卓球をすることになりました。

小学校のころと変わらず、夜遅くなるまで遊ぶも、どこか内向的な性格はさらに強くなりました。好きな子に告白もできないような大人しい性格でした。

一人でいることも好きで、音楽に夢中になりだしたのもこの頃でした。小学校のころ、たまたま聴いたブルーハーツで火がつき、友達にお姉ちゃんに借りたスカパラ、フリッパーズ・ギターなど、いまも好きな音楽の原点はこの時期にありました。

高校生のころ

男子校に進学しましたが、内向的な性格に拍車がかかり、つらいいじめも体験しました。

ただより内向的になったためか、音楽と向き合う時間が多くなりました。思えばこの時期に聴いた音楽は今でも大好きで、はじめてバンドを組んだのもこの時期でした(ラフィンノーズのコピーバンドをやってました)

当時は学校も行きたくないようなこともたくさんありましたが、この時期にたくさんの音楽に触れることが出来たことは、今の自分の原動力となっています。

大学生のころ

一浪して神戸の大学に進学しました。ここで人生の大きな転機となる「DJ」を体験します。

お借りしたクラブは、今は神戸で一番大きなクラブになりましたが、当時は今よりもこじんまりと経営されていました。当時はDJをすること自体すごくハードルの高かった時代だったと思います。そこでつながった関係はいまでも大切に続いています。

性格はあいかわず内向的でしたが、大学祭でダンスパーティー(体育館をクラブ仕様にしてレコードをかける)を企画したりと、多くの仲間と濃厚な時間をすごしました。今でも集まれる、かけがえのない仲間ができた時期でもありました。

内向的というと大人しそうですが、好きなことならとことん没頭する感じでした。

レコード店時代

周囲のあわただしさとは裏腹に、就職活動もあまりしませんでした。理由は音楽にかかわる仕事がしたいから。でも思うようにチャンスはめぐってきません。大型輸入CD店の面接も募集のたびに落ちて、本当に音楽の仕事に向いてるのだろうか?と自信をなくした時期でもありました。

そんなとき、神戸でお世話になっていた音楽に詳しい方から、レコード屋のスタッフで雇ってもらえるか聞いてあげるよ、と紹介いただき、念願のレコード・ショップの店員として働くことになりました。

人生ではじめて好きなことを仕事にできた瞬間でした。神戸から京都に転勤になり、人生はじめての一人暮らしを経験した時期でもあります。朝方までクラブで遊び、昼からレコード屋ではたらく。同じ毎日の繰り返しは、刺激的なのか平凡なのかわかりませんが、若かったこともあり、何気ない毎日がすごく幸せだった記憶は今でも残っています。海外から来日するアーティストがお店にきてくれるなど、貴重な経験も数多くできました。

好きな仕事から、好きではない仕事への転職 〜 体調不良の毎日

好きな仕事について満足しきっていた最中、母親から一本の連絡が入りました。

父親の具合が良くなく、中国から帰国して、日本で働くことになった、という連絡でした。長年の中国での生活で食生活にかたよりがあったためか、糖尿病という診断を受けました。

アルバイトではなく普通の仕事について、家族を安心させてほしい、という母親のねがいを断る理由はなく、大好きなレコード・ショップでの仕事を辞め、大阪にもどり、サラリーマンとして働くこととなりました。

休みは月に6日。営業職で月に3度の出張。沖縄~北海道(札幌)~北海道(網走)などハードな月もありました。

成績がわるいと居残りでアポ取り、さらにアポがとれないと休日出勤でアポを取るなど、体力、精神力ともに疲弊し切っていました。

全国各地をまわれたことは貴重な体験ですが、それ以上に体がついてこない、というのが何よりしんどかった時期でもありました。

この時期に人生ではじめて「扁桃腺炎」を経験します。39度以上の高熱がつづき、発症から数日たっても熱が引きません。ひどいときは39度出ても出張にいき、アポイント先で交渉をしていました。

さすがに高熱がつづきすぎると危険なため、最終手段として使われるのはステロイド。医師も幼いころからのかかりつけ医のため、なかなかストロイドを処方してくれません(いま思えばいいドクターです)

ですが、仕事ひと筋だった自分は、どうして処方してくれない、飲めばラクになるのに、と思ってばかりいました。

頭痛も頻繁に感じるようになり、あまりに心配で有名な脳神経外科で人生初のMRIをとりました。

結果はまさかの「原因不明」、、そんなに心配なら入院しますか?とあきれられたように返されました。

扁桃腺炎も、頭痛も、こんなにしんどいのに原因がないなんて、、、医療はどうかしてる!とすら思いました。

覚悟の退職 ~ 鍼灸マッサージ師の道へ

サラリーマン時代は仕事自体もハードでしたが、それ以上にショックな経験もありました。

販促にまつわる商材を販売していたのですが、いくら自分が先方に気に入ってもらえても、費用対効果がともなわなければ、そこでプツッと関係が切れること。

一時的に数字は上がっても関係が切れる。その繰り返しに、自分の体力、精神力も落ちるばかり。完全に仕事のやりがいを見失い、不平、不満の毎日を過ごしていました。

このままではいけない、、、

漠然と感じる未来への不安が増すなか、まずはこのシンドさをなんとかしたい、そういう気持ちで近所にあった治療院に駆け込みました。

気持ちのいい鍼にマッサージ、心も体も十分に満たされました。施術がおわると真っ先にでる言葉は「ありがとうございます」という言葉。

これしかない、、!!

漠然とですが、医療に興味のあった自分を動かすには、これ以上ない出会いでした。自分自身が直接誰かの役に立てる仕事はこれしかないと思いました。

そこから会社に退職の意思をつげました。専門学校に入るためには受験勉強が必要なため、同伴する上司の許可をとり、出張の移動中に新幹線のなかで勉強していました。

めでたく専門学校に合格し、鍼灸マッサージ師の第一歩を歩み始めました。

自分のやりたい治療を 〜 開業へ

専門学校時代には治療補助、鍼灸マッサージ師の免許取得後は、実際の治療スタッフとして、計6年半、治療院で勤務しました。

しかし、短い時間で表面的におこなう施術スタイルは肌に合わず、強い力で揉みほぐすことに疑問を感じていました。

昔から本質的な部分をみる性格だったため、表面的な施術をいくらしてもラクにならないことは本能的にわかっていました。体には心の状態がそのまま現れている、と感じていました。

そのうち、心理学に興味を抱き、勤務の合間をぬって心理学をまなび、心理カウンセラーの資格を取得しました。

いくら患部を追ってもまたシンドくなる、、

不調を生み出す思考のクセがあるはず、、

その2つを解決するためには

心と体の両輪をしっかり整える治療が必要だ!

そう感じて独立の意思をつたえ治療院を退職。自分のスタイルを確立して、現在の場所で開業させていただきました。

治療に対する想い

「人は自分が望む人生を歩むことができれば不調は出ないのでは?」

自身の経験をつうじて、感じていることです。

レコード店で勤務していたときは、遊び疲れでシンドさはありましたが、心地よい疲れでした。自分のおこないでそうなったのたがら仕方ない、と割り切れていた部分もあったと思います。

ですが、サラリーマン時代は貴重な体験よりも、苦痛が上回っていました。自分で選択した道に文句をいうのもナンセンスですが、人生にとって大切な選択をするために、自分の希望する人生を素直に歩むために、つらい体験があったのだと思っています。

生きていればパッと見、いい事も悪いことも起こります。ただその本質は共通しており「いかに自分らしく、希望する道を歩むか」のために、選択、気づき、必要な軌道修正させているのだと思います。

書けないようなつらい経験もそれなりにしてきました。でも今が一番といえるなら、どんなことも最高のスパイスだと考えています。

病院にいけば病名がつくことも、それ自体が良い悪いではなく、いまのあなたにとって大切な気づきを与えるきっかけなのだと思います。

シンドイとつらいですが、そんな時こそ、自分のホンネを感じてみてください。シンドい状態にならないと気づけない、自分らしい生き方もたくさんあります。

自分にとっては、頭痛と扁桃腺炎がまさにそれでした。からだは常にSOSを出していたのだと思います。同時にいまやってることは本当にやりたいこと?と警告を鳴らしながら、人生の軌道修正をしてくれました。

そのときはシンドさしかなくてわからなかったけど、後になって良かった、と思えたらそれで十分だと思います。

なので、今のあなたがどんな状況であれ、必要だから起きている、人生のお試しごと、成長〜転換のチャンス、だと思ってください。

いつも頑張っているからシンドさが出るんです。頑張りは本当に素晴らしいと思います。

ただ、時には頑張りを忘れて、ありのままの自分にもどる時間も大切です。車でも飛ばすときはアクセル全開ですが、乗らないときはエンジンを切りますよね?ONとOFFのバランスが保てるから、調子よく走ってくれるんです。

現代人はストレスフルでスイッチがONになり過ぎて、あなた本来の生き方に気づけていないケースが多いように感じます。だから軌道修正、または無理を知らせるアラートとして痛み、病気が現れます。

つらいときは心身ともにゆとりがないですが、体からのメッセージを大切に聞いてあげてください。

些細なお悩みを吐き出せる場所、不安を感じずありのままでいられる場所として、当院がお役にたてたら嬉しく思います。

長文をお読みいただきありがとうございます。感謝しています。

影響をうけた書籍

どれも自分の背中を押していただいた素晴らしい良書です。よかったら読んでみてください。気づきのきっかけなれば嬉しいです。

(左上)
「体に語りかけると病気は治る」 長田夏哉 (著)

(左下)「瞬間ヒーリングの秘密 – QE:純粋な気づきがもたらす驚異の癒し」 フランク・キンズロー (著)

(右上)「本当の自分に出会えば、病気は消えていく」 梯谷 幸司 (著)

(右下)
「病をよせつけない心と身体をつくる – 直観医療からのメッセージ」 クリステル・ナニ (著)

※上記のリンクはすべて「amazon」の販売ページにつながります。

対外活動

~DJ、レコードコンサート、小学生向けの出前授業~

治療院での仕事以外に、長年続けている活動のひとつに「DJ」があります。

20年ほど続けておりますが、ここ数年はありがたいご縁をいただき、野外フェスでDJをする機会をいただきました。

日本最大の野外フェス「フジロック・フェスティバル」には2度、「朝霧JAM」においても2度、DJ出演の経験をさせていただきました。

自分の人生の夢のひとつに、ビッグ・アーティストのメンテナンスがあります。漠然としていますが、おかげさまでその夢にも一歩ずつ近づきつつあります。

DJの活動は、鍼灸・整体とはまったく畑のちがう活動になりますが、私はこの活動を通じて大切な気づきを得ることが出来ました。

それは、

・ 好きなことはとことんやる

・ 継続することに意味がある

・ 人生に何ひとつ無駄なことはない

・ 人それぞれに生まれ持った生き方がある

ということです。

一度限りの自分の人生です。本人が楽しまないことにはなにも始まりません。

最近では月に一度、高齢者施設に出向き、レコード・コンサートを開催しております。懐かしの名曲から、知られざる良曲まで、大勢の方と楽しく自由な時間をすごさせていただいています。

他には、生業とリンクしていますが、大阪市内の小学生を対象に、社会人が出前授業をおこなう取り組みに、講師として不定期に参加させていただいております。

授業では、手軽で本格的なマッサージを教えています。

子供たちに仕事への興味を持ってもらうことはもちろんですが、ご両親、おじいちゃん、おばあちゃんをはじめ、身近な方へのスキンシップ、触れ合うためのきっかけ作りを目的に行っています。

〜人生一度きり〜

流れゆく時間のなかに、あなたらしさを見出し、理想の人生をおくる。その軌道修正である不調のサインにきづき、心身ともに健やかに生きる。

些細なお手伝いかもしれませんが、お役にたてたら嬉しく思います。

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大阪府大阪市中央区材木町3-15 リバーライズ本町101

休診日

日曜

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・谷町四丁目8号出入口、谷町六丁目5号出入口、長堀橋駅・北東エスカレーター より徒歩約12分

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